写真は「未来へのタイムカプセル」であり、「今と未来をつむぐ」もの。
そして、「生まれてきてくれて、ありがとう。」を伝えるもの。
本名:河本翔子(SNS:尚子)
物語フォトグラファー
第61回 富士フイルムフォトコンテスト 組写真部門大賞 受賞
山口県在住。
幼少期、カメラを趣味にしている父の姿を見て、家庭を守る母の背中を見て育つ。
祖父の葬儀で遺影写真を見た時に、若すぎる写真に疑問を抱く。
何になりたいわけでもなく、手に職をつけるように勧められた看護学科を受験、入学。
テスト期間中に「生前遺影」のカメラマンの特集を見たことが切っ掛けで、幼少期に見た祖父の遺影写真は免許証の引き伸ばしであり服装はスーツの合成だと知る。
人は生まれてくる準備はするのにどうして死を迎える準備をしないのか、と再び疑問を抱く。
学科卒業前、母がお産をした産婦人科への就職が決まり就職する。生まれる喜びだけではなく、流産、中絶、死産といった悲しみも経験する。
その後、介護老人施設や認知症専門棟の勤務を経験する中で、死亡診断後に葬儀屋から遺影写真の提出を求められて困惑する遺族を目の当たりにする。
訪問看護ステーションで勤務をした時に、小児脳性麻痺の方を担当。ご家族の話を聞いた中で、もっとたくさん写真を撮って残していたら・・と言う後悔が胸に刺さる。
看護の業務は残業はあまりないものの、不規則な生活やルーティーンのような業務内容、主に先輩との関係性に悩み、看護感や思想の違いを肌で感じ、今の仕事を本当に一生続けたいのか疑問を抱く。
本当にやりたい仕事は何なのか。
手に職をつけるように勧められた看護の世界も嫌いではないが、思ったような看護の提供ができないジレンマを抱いてまで、自分の考えを捻じ曲げてまで続けたい仕事だとは思えなくなる。
趣味で初めたカメラでポートレート撮影を始める。
言葉や絵で上手く伝えることができない部分が、写真で表現できる楽しさにのめり込む。
写真を通して知り合った仲間と、カメラチームを立ち上げて撮影会を行ったり写真展を開催。
上達に手応えを感じながらも、徐々に仕事とのバランスが上手く取れなくなる。
同時期、当時のパートナーからモラルハラスメント受け、心身ともに苦しい2年を過ごし離婚。
自分らしい生き方をしたいと思い、日本国内はもちろん、世界的にも活躍をしているフォトグラファーの元へ、毎月夜行バスや新幹線を利用して撮影技術の教えを受ける。
生き方、写真に対する姿勢を心から尊敬している2名のフォトグラファーの元で、自分なりの撮影スタイルを確立。
兄と慕っていた友人が癌を患い、それを機にヘアドネーションに貢献。
闘病をするも最期を迎えたが、遺影写真はその人らしい、その人そのものであることが胸に刺さり、今でも鮮明に覚えている。遺影写真はその人が最期に見送り、そして見送られる写真である姿だと体感する。
その後、採用率1桁の出張型撮影サービスに採用されたことを切っ掛けに、看護師の常勤勤務の退職を決意。山口県、広島県を主に、愛媛県、岡山県、大阪府、東京都、千葉県への出張撮影を行うが、本当に今の働き方でいいのか、見直すタイミングで起業塾に入校。
本当に撮りたいものは、生前遺影だが、生後28日までに撮影するニューボーンフォトは生まれて初めての写真で、もしかしたらその子にとって最期の撮影になるかもしれない、と感じたことでニューボーンフォトの撮影にも力を入れる。
SNSや口コミ、紹介で家族の撮影、生前遺影の撮影、ニューボーンフォトを撮影。
起業する方に必要なプロフィール写真は頭蓋骨の形を見極めた、お客様にあった顔の角度、メイク、ライティング撮影でリピーターが増える。
生年月日から紐解く、「行動分析鑑定士」として、ビジネスで迷うクライアントの後押しにも尽力。
総撮影組数は600組以上。
人生はまるで、物語のようだと感じる。
だからこそ、「絵本のような人生を写真でつづる」ということを大切にし、活動を拡めている。
プライベートで作品撮りを行う際は、自然と草花をテーマにした写真でファンが多い。
2021年からは「時の旅人」をテーマにした撮影に力を入れている。
主な受賞歴
- 第51回二科会写真部山口支部公募展 奨励賞
- 第54回二科会写真部山口支部公募展 奨励賞
- 第55回二科会写真部山口支部公募展 推薦
- 第61回富士フイルムフォトコンテスト組写真部門 大賞
メディア掲載・出演実績
- 路上から世界へ 著者・伊藤潤一
- 白泉社 kodomoe 2019年8月号
- コスミック出版 マタニティSTYLE 2020
- 株式会社日本写真企画 フォトコン 3月号
- KRY山口放送 熱血テレビ 2020年5月